方言って直す必要あるのか?どうやって直す?訛りは?

2020-01-23

会社の同僚が大阪出身の方です。お昼ご飯を一緒に食べている時、何気なく田舎の話になり、話し言葉についていろいろ意見が聞けました。でもそんな話はさておき、ずっと昔から方言や訛りについて思うところがあったので、ちょっと書いてみます。

方言: 広辞苑無料検索

㋐一つの言語において、使用される地域の違いが生み出す音韻・語彙・文法的な相違。また、そのような相違に基づく同一言語の下位区分。地理的方言。「東北―」「沖縄―」
㋑共通語に対して、ある地方だけで使用される語。俚言りげん。
㋒社会的身分・職業・年齢・性別などの要因が生み出す音韻・語彙・文法的な特徴。また、そのような特徴によって区分された同一言語の変種。社会的方言。
②「揚子ようし方言」の略称。

方言ってみなさんどう思います?

その地域にいれば普通に使う言葉ですが、別の地域では全く通じなかったり、なんか変わったイントネーションだったり。
気にしない人もいれば、気になってしょうがない人もいる。時代によって言葉も変わり、同じ地方でも言い回しが微妙に変化したりする。引っ越してその地域の言葉に直す人もいれば、頑なに直さない人もいる。同じ日本語なのに、いろんな考え方があるよな、と折りに触れて考えてしまうテーマです。

※ 断っておきますが、以下の内容は私の個人的な意見や感想です。また、あくまでも東京を基準にしています。

方言って何種類あるの?

wiki見てもだらだら長くてよくわからない。興味があれば直接ご覧ください。日本語の方言

そこからの斜め読みです。
・本土方言と琉球方言がある
・本土方言は東日本方言と西日本方言と九州方言の3つに分けられる
・東日本方言は北海道方言、東北方言、関東方言、東海・東山方言
・西日本方言は北陸方言、近畿方言、中国方言、雲伯方言、四国方言
・九州方言は豊日方言、肥筑方言、薩隅方言
・東北方言はさらに北奥方言と南奥方言
・関東方言は東関東方言と西関東方言
・東海・東山方言は越後方言と長野・山梨・静岡方言と岐阜・愛知方言

で? 
以上をおさらいすると。以下の17種類ということになります。

北海道方言、東北方言(北奥方言、南奥方言)、関東方言(東関東方言、西関東方言)、東海・東山方言(越後方言、長野・山梨・静岡方言、岐阜・愛知方言)、北陸方言、近畿方言、中国方言、雲伯方言、四国方言、豊日方言、肥筑方言、薩隅方言、琉球方言

ちなみに私は愛知出身なので、岐阜と同じなのか?尾張と三河でも違うぞ、と細かいことを言い出せばきりがないと思いますが、まあ、ざっくり分類ならそんな感じなのでしょう。

方言と訛り

なんかごっちゃになっていますが、方言は言葉や表現方法そのものが異なるもので、訛りは言葉は同じだけれども抑揚が異なるものでしょう。ようするにイントネーションやアクセントが違うものを指しますね。要は、「意味は通じるけど、なんか変」という指摘をする時「訛ってる」といいます。
でも、実際の生活の中では言葉そのものが違う場合でも「それ訛りだよ」とごっちゃにされて指摘されることがありますね。

方言や訛りって直すものなのか?

そんなの本人の勝手。
でも私は直しました。とにかく直しました。だってこっちの人になりきりたかったから。接する人に少しでも違和感を感じさせたくなかったから。結構後ろ向きな理由ですね。
日本語である以上、よほどのことが無い限り意思は通じる。周りとどこまで溶け込みたいか、でしょう。逆の立場ならどうだろうか?旅行者なら気にならないかもしれないですが、例えば町会とかで、一人だけばりばりに違う言葉話されたら、、、あなたは差別・区別を全くしないでその人と接することができますか?
と考えると、直した方が不利益少ないよな〜、とこれまた消極的選択で直すことになる、と思う。

方言や訛りって直るものなのか?

直る。普通に直ります。でもネイティブになれない。ただし、直す気があるなら死ぬまで勉強。そこまでする必要はないでしょうけどね。結局、真の正解はネイティブからのチェックを受けるしかないわけで。どこまでの修正・矯正をゴールにするかだけの話。
ちなみに私のカミさんは東京下町出身です。標準語はもちろんですが、時折江戸弁が混じりながらも24時間の添削を受け続けています。30年近く私の先生なわけですが、それでも今だに指摘が入ることが無いとは言えない状況です。言葉って深い。

注意して欲しいのは、地方人同士が東京に住んでいて、お互いに標準語バリバリだよね、と妄想すること。そんなのは直した気になっているだけ、とっても痛い。大正解知らないんだからしょうがないけど、そういう人に限って違いを細かく指摘すると強く抵抗する。努力はわかるんだけどね。やっぱり限界なのですよ。

直る人と直らない人

というより、どこをゴールとするのか、また、直す気がどれだけあるのか次第かと。
言葉・表現(方言)そのものはいずれ直るでしょう、生活にかかわるから。でもイントネーション(訛り)が直らないケースが多い。
典型的なのが関西人。私は関西の方好きです。でも、東京の生活で関西弁を聞きたくは無いです。(異論は認める)
で、典型的な関西人が東京に来た場合は大きく分けて3種類います。

  1. 全く直す気がない(少数ですが、この気質の割合は間違いなく他の地方出身者を圧倒するでしょう)
  2. 言葉は直すが語尾やイントネーションはそのまま(大多数がここ)
  3. 普段は地方出身だと分からないほど直し切る(かなり少数)

私の経験上、関西人以外の地方出身は3が普通です。ひょんなことが無い限り、出身地が分からない程度にイントネーションも含めて修正されている人が圧倒的です。でも関西人は圧倒的に2なのがおもしろい。みなさんもわかるでしょ。どこにいても本人がどんなに隠そうが、関西人は関西人とすぐわかるんです。そして見抜かれることを意外に感じている。わかるよそんなの。
ダイバーシティーの世の中なんですから、それでいいでしょう。でも、関西以外の方は圧倒的に3なのです。その域に達するためにみなさん相当苦労してきたのです。そこは関西人とは違うのです。(いい悪いではないですよ、関西人以外の人は努力量が一般的に多いのです)

方言や訛りの直し方

まずは聞くしかないでしょう。標準語の場合はNHKを聞いて直した、というエピソードは昔よく聞きましたね。言葉は生活なので、特に意識しなくても必要に応じて直ると思います。問題はイントネーションですね。私は大学からこっちに来ましたが、最初の3ヶ月間はじいっとじいっと、ひたすらこっちの友達の話し方を聞いていました。そしてそれをまねるようにしました。「学ぶんだ」と真剣に自分に課して、努力しましたよ。おかげで3ヶ月で一通りの成果を出しました。多くの人に「こっちの人かと思った」と言わせるまで直しました。それは極端な例ですね。ただ、イントネーションというのはよほど本人に直す気がなければ直りません。なぜなら、周りはそれを指摘しないからです。特に大人になれば尚更です。どれだけ長くその地に住んでいるかは関係ないですよ。直したいなら、真剣に努力しましょう。

実は方言が話せるってエライんだぞ

話せる、というより理解できることがエライのです。カミさんに言われます「2ヶ国語話せていいね」と。方言ってそういうことか、と考えると実は徳をしているんです。一家で実家に帰ると、カミさんは年寄り(両親や親戚)の話の多くは理解できないと言います。私は普通に理解します。え、なんでわからないの?と思いますが、それほどまでに方言ってネイティブだと特殊なのでしょう。その時思いました、これってやっぱり外国語と同じなのか、と。外国語の場合は聞けて話せることが必要ですが、方言の場合は標準語を使って話すことはだれだっておそらくできるでしょう。でも、聞き取れるかどうかは訓練なのでしょうね。この発想はおもしろいです。

まとめ

まとめなんぞありません。
ただ私の中での明確な考えはあって、地方出身者で方言を矯正した人は語学の習得(特にイントネーション修正)が得意だろう、ということです。
だって、やり方そのまんまなんだもん。聞いたものを口にする。そこは理屈ではないのです。練習あるのみ。
ボキャブラリーは知る・暗記するしかありません。ここは同じ。でもイントネーションはひたすら聞く以外に正解を知る方法はなく、方言矯正者はすでにその術を持っているわけです。乱暴かな。
習得スピードではないですよ、ネイティブらしい発音をするための努力に抵抗が少ない、ということです。